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抑々 当山は住古禅宗にして 人皇五十一代平城帝の御宇大同三年 釈信海なるもの 奥下三軒・迫三軒片山三軒・の信者と共に堂宇建立し延命地蔵尊を安置し累代奉仕す 当寺古者七堂伽藍造上本尊延命地蔵尊安置 行基菩薩作と申伝 代々相続の処 文禄年中 武田家の家老職佐々木勇之進 なるもの住僧となり 頼りに真宗に帰依せんこと主張す 此処に於て 二代教順 慶長十五年 本願寺十二代准如上人の弟子となり 浄土真宗となる 天明八年七月二日 西光寺と本願寺より寺号を受く
明治十二年三月廿五日 官長より寺号公称を許可せらる |
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開基初代 恭順 慶長十九年三月廿五日
第 二代 浄清 寛永十八年五月 八日
第 三代 教俊 延宝 八年八月十九日
第 四代 教正 正徳 六年三月十七日
第 五代 教順 享保十九年五月廿八日
第 六代 柳音 元文 二年二月二十日
第 七代 流恩 安永 三年五月十九日
第 八代 智玄 文化 五年四月廿八日
第 九代 諦乗 文化 十年七月旧
第 十代 智眼 安政 五年八月廿四日
第十一代 薩雲 明治廿二年五月 三日
第一二代 源流 明治四十年五月ノ頃
第十二代に至りて家族一同 止無き事情ありて当寺を去る。 |
第十三代 晃赫は広島市善法寺第十世至誠師の第三子 第十一世住職至道師の実弟にして(二十六歳)当山第十三世住職を継職す。
※「寺族」佐伯郡大野村岩国屋江上学蔵娘
坊守 ム ラ 62寂
長女 アヤコ 77寂
長男 春 海 20寂
次男 徳 行 91寂
明治四十三年十月十五日 西光寺・誕生
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第十三代 住職 晃赫
大正五年・七間四面本堂(東向を西向)(庫裡・改築)慶讃法要執行
第十四代 住職 徳行
昭和廿七年度以降 (鐘楼門新築)(梵鐘)(本堂前大灯籠一対)(境内大手増築)(経蔵厳浄閣・六角灯籠)(庭園)(親鸞聖人銅像・六角灯籠)(廿八畳書院)(庫裡二階付・新築)(庭園)各慶讃法要執行
昭和六年 本堂屋根杉皮葺を吉和瓦に葺替施行
昭和三十九年 本堂屋根瓦しみわれ・釘の腐食激しく吉和瓦補充修理施行
平成四年五月〜七月 本堂屋根(石州瓦)にて葺替・経蔵屋根トタン葺を瓦葺に施行完了
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第十五代 住職 至誠 平成八年五月十七日就任
此処に慎で「仏祖の善巧」門・信・徒の報謝の懇念と、深く合掌 讃仰を捧ぐ。
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